2011年

5月

31日

数学と芸術

ドローイング
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「天才数学者が生まれる土壌の一つに美に対する感受性が必要であ

ると言われている。

 

今日の理論物理学者は、理論と実験を突き合わせることの難しい領

域に足を踏み入れており、理論を証明するのに実験できないことを

けなされる批判の中、数学と美学が実験に取って代わるのだろうか

とも囁かれている。

その実在を受け入れる理由として内的調和つまり、簡潔さ、美しさ

が真理の特徴をなしている。

実際に証明されてきた今までの理論は、すさまじいまでの数式の積

み上げによるものであるが、それはまさに、見事に壮麗にして華麗

なる美しさを兼ね備えていると言う。

 

逆に、作品からもたらされるいわゆる美というものが沈黙とともに

全身をうつものであるならば、科学的真実がそこに存在すると考え

てもおかしくないのではないだろうか。自分自身の真実とともに作

品自体が証明していると言えないことはない。

 

つまり、科学的世界認識がある一方絵画的世界認識いう方法も成り

立つに違いないと思う。そして、自分自身の中にある真実のもので

あるならば作品は自ずと生命を持つ。」

 

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これは2002年長野県信濃美術館の展覧会の時のカタログに載せた

コメントの一部ですが、この思いは今でも変わりありません。

 

昔から人間は自然界の様々な形態やダイナミズムを起こしている神

秘の法則を数によって把握してきました。

その代表的なものが神聖比例(黄金分割、フラクタル、フィボナッ

チ数、、、など)ですが、説明しがたいものを理解するための手段

が数学でした。それは芸術にも意識的、無意識的に取り入られ美学

的基準とされてきました。

 

今日、作品を構成する要素が単なる美というものだけに支配されて

いるというつもりは毛頭ないですが、(逆にそういうものをすべて

排除するものもあります。)いい作品は必ずどこかの部分でこの神

聖比例を持ち合わせているのだと思います。人間の最も深い部分と

その深遠な魅力とが呼応することになるのです。

 

作品制作は、できうる限り直観に従うというアプローチによってそ

の神秘の世界に到達できたらと思っています。

 

21世紀、科学は形而上学的なものと出会う高度な世界とつながり大

きく展開してきていますが、願わくば、理論物理学者が触発され新

しい発見のヒントになるような作品創りができたらなあと大それた

事を考えることがあります。あくまで願望ですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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